写メ日記

寒中御見舞い

2018/01/16 13:36:33

関西の松ノ内も昨日で終わりやが
五日前の残り福ショット、
バック加工ちゃいます
総天然色、紺碧の夜空 🌃✨



毎日 沢山の御問い合わせ 御指名 頂き
有難う御座います 🙇

日本橋 果てっこ 文楽裏から捜索下さった皆様、有りまとうね 🙇💌
ネットて凄い 😲📱

1昨日は、ひとかたならぬ恩義に預かりました お懐かしや 貴方様の御運び
まことに感謝致しております 🙇

ここ数日 打ち続く幸運に
早くも御詣りの御利益を感じ
嬉しい悲鳴 w
神様に愛されるシアワセ ? ✨

…で思いだした💡

人には三種あると聞いた
天才、秀才、凡才と。
映画『アマデウス』(M・フォアマン監督 P・シェーファ脚本)には、この三種のタイプが モーツァルト、サリエリ、皇帝レオポルド と登場する。

天才 秀才 凡才の区別は、努力しなくてもできる人、努力の人、努力しない人、の区別でもない。全員 努力はする、努力とはベースのようなもので、天才とは努力することを知ってる人である、という
ゲーテの言葉もあるくらいだから。

原作者シェーファの区別は
天才→神が愛した者
秀才→神が愛する程の才能には恵まれないが天才の才能は解ってしまう人 ゆえに
不幸な人
凡才→秀才の才能は理解でき 尊重するが 天才の才能までは解らない人 ゆえに幸福でいられる人

映画『アマデウス』は天才の才能に恵まれなかったが、天才の才能を解る程度の才能には恵まれた 秀才の悲劇だ。
(アマデウスとは ラテン語で 神が愛した者=天才 の意味 モーツァルトのミドルネーム)
この映画のモーツァルトは、下品で軽薄で、よくもまぁ こんな男が神に愛されるものだ、と サリエリが嘆くのも当然だと思われるほど 低俗な人物に描かれているが、
劇中で 感動したのは、モーツァルトが皇帝に向かって言う台詞

「 わたしは 下品 な人間ですが、
わたしの作品は 下品でない ことは保証いたします 」

創作する者の自負をあらわして、この句に優るものはない
これを言える人は もう それだけで幸福だ。 貧乏で野垂れ死のうが 共同墓地に投げ込まれようが、そんなことは問題でなくなる。
他者を幸せにすることができたなら、それ自体が その人にとって幸せであって
常識的な幸福まで望むようでは、それこそ 神様に対して申しわけない。

この映画のモーツァルトは 下品で軽薄で低俗でも 鷹揚である。
サリエリの 敵愾心 に気づかないくらいに、サリエリに対してさえ「ありがとう、あなたは親切な方です」などと 鷹揚である。
天才が おおらか でいられるのは、神に愛されているという自信があるからだ。
こういう人物を描くのは大変難しい様で、
作者はモーツァルトを神に愛されているという自信を持てないサリエリの視点から描くしかなかったのだと思う。




新潮社 塩野七生 著 "人々のかたち"
参考 抜粋